お釈迦様の仏教

お釈迦様の仏教

本来仏教とは、古代インドにおいて、お釈迦様がお説きになった人の道の教えです。
お釈迦様は紀元前486年頃(今から約2500年前)インドの王家の子として生まれ、成人となった時に国民の暮らし・寺の中の乱れ・自分の心の悩み・生き方に疑問を抱き、安泰な王家の暮らしを捨てさり(出家)、長い修行の積み重ねによりやがて35才の時に悟りをひらいたのです。
そうしてインドの国民に向かって、人の生き方・心の悩み・病気の治し方・川が氾濫するのを防ぐ土木の事・地球はどうなっているかという天文の事などを その都度お話になったこと、また書き綴ったことが仏教の経典の基本なのです。

三上先生の仏教

仏教は全てにおいて二つのことしか説いていない。
一つは、宇宙は一大生命体である。一元生命によって宇宙は存在し、命は一つ。ただ、それが因縁の相違によって、山となり川となり、ちんちろりんにもなる。でもこの一元生命たる無限の叡智と無限のエネルギーを持っている一元生命じゃが、命は命としてあり得ない。命が命としてあるときは、何ものでもないが、何ものにもなり得る可能性を含んでいる。「空」じゃ。そこに躍動無きときは理体じゃ。
今一つは、この宇宙は因縁によって出来ている。蒔かぬ種は生えぬ。人間の口に語り、言葉に出し行いに行うところの身口意において蒔いた種が必ず生える。つまり、現実の宇宙、形ある宇宙は因縁によって生じたもの。宇宙一元の命を材料として、因縁によって形ある世界を生じた。
この二つを説くのが仏教なのじゃ。

現世と来世    大谷暢順氏

死後の世界があるかないかは証明できませんし、証明できないからといって、そんなものはないと言い切ることもできません。
考えようによっては、死んだら終わりではなく、来世があるのだから、今は生まれ変わりのための準備だと解釈することもできましょう。私達が餓鬼でもなく畜生でもなく、こうして人間に生まれたということは、前世で少なくとも極悪非道なふるまいをしなかったということでしょう。
この世での命は儚く消えますが、極楽に生まれ変わることができれば、そこで常に安らかな気持ちのまま、永遠に生き続けられる。
蓮如上人は信仰を得た者は現世利益と来世利益の二益を得ることができる。とはっきり謳いました。