先祖供養

先祖供養(宗教工芸新聞抜粋)

先祖供養は社会制度
 先祖供養は私の安定であり、家の安定であり、社会の安定を生み出します。
 その意味で死者供養と先祖供養は社会制度そのものです。
 江戸時代以降の社会の安定を支えてきた要因として仏壇を中心とした先祖供養があったことを私達は忘れてはなりません。つまり、仏壇は私の平安と家族の平安を生み出す基盤となります。

先祖供養 安心

 仏教には「生まれ変わり」があり「地獄の思想」があり、それに支えられた「先祖供養」があります。
 仏壇はより個人的なものとなっています。供養においては先祖供養ではなく、死者供養の意味合いが都市部では強まっています。まず、亡くなった方が安心してあの世から私達と交流できるためのしつらえが仏壇であり、私達はそれを調えることで、亡くなった方が安心するということ。しつらえを調える中で私達は大切な方、ご先祖様と自然と語り合いができるようになります。

先祖供養と死者供養

 政教分離体制になったのは戦後のことです。明治時代以降は神道が国教でありましたし、江戸幕府は仏教を政治に大きく利用し僧侶が政治に関わることもありました。
 江戸時代以前の仏教であれば尚更のことで、聖徳太子の時代であれば仏教は政治と表裏一体の関係であり、仏教により国を鎮める。つまり国を安定的に運営する鎮護国家体制が敷かれていました。

 私達の日常生活の中には、多くの宗教施設があります。辻のお地蔵様や祠(ほこら)、寺院、神社、そして家の中には仏壇や神棚があります。
実はこれら一つひとつの宗教装置が、家庭や地域、国の安定に寄与してきました。
仏壇は家庭の安定装置であり、社会の安定装置として機能してきました。
死者供養を行うことも、また葬儀も社会を安定させる儀式として機能してきました。
江戸時代以降、定住化が進み生まれた場所で成長し、生まれた場所で死ぬ、という繰り返しの中で仏壇や様々な宗教施設とそこで行われる儀礼が人々の心に安定をもたらしてきました。

 「終活」「墓終い」など自分の生涯をどのように閉じるのか、次世代に対して迷惑を掛けないということばかりが重要視される。とても現実的ではありますが、来世とつながり、来世で子孫とつながること、自分が生まれ育った土地とつながることは全く意識されません。
先祖を殺す(亡くなった方だけを供養して先祖の存在を無視すること)ことは先祖になる自分をも殺すことになります。命は継承されるものであり、例え一人身のままで亡くなるとしても先祖を殺してはいけません。
死者供養と同時に先祖供養を行うことで供養の奥行きが広がり、意味が深まります。祖父母、曾祖父母、さらにその先祖を意識することが大切です。
                                      

先祖供養の基本

 元々、インドから中国に仏教が伝わり広まる段階で、仏教には儒教的なもの道教的なものが混ざりあいました。
日本の仏教は中国から伝わったために、当初からお盆や冥界での裁き、先祖供養がセットになっていました。
葬儀式でいえば、古くからしきたりを整えてきた禅宗の方式が日本の葬儀の基盤となり広がりました。檀家制度が崩れてきているとは言いますが、社会制度としての先祖供養は維持した方が日本人の将来を安定させることになります。
 位牌を祀る、そこに手を合わせる。お墓参りに行くという行いが先祖供養の基本であり、そこに信仰が必要なわけではありません。「拝む心が大切」ではなく「拝む行い」こそが大切なのです。